超訳百人一首 うた恋い。第12話「道雅と当子 左京大夫道雅」「うき世の月 三条院」
2012.10.07 *Sun
超訳百人一首 うた恋い。2 DVD付特装版 (2011/04/28) 杉田 圭 商品詳細を見る |
夢の終わり。
とても切ない話だったけど、やっぱり悲恋は画になりますね。
大人と子供だった2人が出会って、恋人同士になって、引き離されて。時間を重ねていく中で、一族の重荷を背負う道雅を、無垢だった当子が理解していく過程が、とても切なかったです。
けど、今回の話が一番、恋人同士になってからの幸せな期間を、丁寧に描いてた気もします。悲しい結末だからこそ、幸せな場面が記憶に残る。同じカットを使い回してたのは少し残念だったけど、演出によって同じ場面で2人が何を考えていたのか聞けたのは、良かったと思います。
それに、親の反対で悲恋になってしまうお話なのに、その反対をした父上が傲慢親父ではなく、娘の幸せを願っているからこそ反対した、弱々しい父親像だったことが、かなり胃に堪えました。
生まれたときから自分の立場が決められていて、娘の幸せさえ自分では守ってあげられないってのは、相当の無力感ですよね。当子もそんな気持ちは痛いほど分かるから、道雅にも、父親にも、直接責める言葉をぶつけない。そんな当子はとても大人で、だからこそ辛い場面でした。
道雅の歌は、好きだけど別れなくてはいけなくて、でもその言葉を告げられない悔しさが滲む歌。そしてもう一つ、三条院の歌は、別れを覚悟しながらも、幸せな過去に想いを馳せる歌。一族の命運なんて重すぎるものを背負っていた男性2人の、とても切ない惜別の歌でした。
ただ、前話の視聴中に「今回の話は救いがない」ってコメントがあって、どんだけ絶望的なんだとビクビクしてたけど、悲しいばかりではなかったです。特に三条院の歌。この歌は、俗世を捨てる決意を固めたはずなのに、過去の幸せな記憶にすがってしまう、自分の愚かさを皮肉った歌。
でも、その一方で、娘がそれだけ愛せた人に出会えたこと、現世に絶望して見限ったつもりなのに、結局捨てられないほど幸せな記憶を抱けたことを、父親として喜ぶ歌にも思えました。
当子が自分も尼になると言った時、その表情には悲壮感が漂ってはいたけど、心の底から大好きになった人を、大好きなまま生きていけることは、それほど不幸なことではないですよね。
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